ゴルフ哲学

ゴルフ上達方法は、沢山ボールを打つ事ではありません。人が行うゴルフスイング動作は特別な動作ではなく、issueを特定し、知覚と意識に目を向ける事が上達には欠かせません。

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稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一

判断と決断

多くのゴルファーにとって、動作の良し悪しを判断する事は、容易ではないだろう。

比較する事は容易でも、結果に結びつけるファクターを見つけ出すには知識と経験が必要だ。

人は比較する事で自分が置かれている位置を確認、判断基準とする事で決断へと導く。

ウェブサイトには比較サイトが溢れ、多くの方が一度は利用した事があるのではないか。

便利で参考にはなるが、判断基準は人それぞれなので、鵜呑みにすると失敗する。

様々な分野に理論はあるが、物理的な法則に基づいた事象であれば万人に共通するが、それ以外は、提唱者の主観である。

提唱者に当てはまっているとしても、他の人に当てはまるとは限らない。

又、提唱者自身、時が経つにつれて考えが変化し、その理論が陳腐化する。

人の動作に共通する事とは、何であろうか。

人の動作を比較して、模範とされる動作に近づける事を否定はしないが、最良とは思わない。

とかく日本社会は、同一性を好む。

手本となる事に同調して、はみ出している事に対して劣等感を感じる。

動作の本質は、本能的に行っている事に他ならない。

日常的に行っている動作と、非日常に行う動作は結びつくのであろうか。

歩く動作に理論など当てはまらない、しかし早く歩くためには理論が存在する。

歩く動作でも、見た目を格好良く歩く、人より早く歩くなど目的に対する手段が様々あり、人は自分に合った手段を取捨選択する。

 

日本では、何かを習得する事を習い事または、稽古事と言う。

この稽古の語源は、稽古の稽は考えると言う意味があり、いにしえを考える、昔の事を考え調べてどの様にすべきかを正しく知ると解釈される。

そして、日本の伝統芸能には、茶道・華道・香道・書道がある。

古くから、会得、体得、習得する事をその道を究めると言われてきた。

道とは、精神・美・技術の融合であろうか。

利休百首(千利休

「規矩作法守り尽して破るとも離るるとても本を忘るな」

千利休が詠んだ利休百首の中にある、最後の一首である。

この歌から「守・破・離」が様々な分野で独り歩きし解釈されている様であるが、規矩とは考えや行動の基準とするもの、手本の意味でその規範を守り通し、たとえ規範を破ったり、規範から離れたとしても、基本や本質を見失ってはならないと解釈できる。

道を究めるための道理を、見事に言い表しているのではないか。

 

ここで、何かを習得するにあたって重要な事は、まずは考える事である。

では、何を考えればいいのか。

目的であったり目標を考え、取り組む対象の基準、基本とは何かを考える。

習得する場合であれば、良き指導者に巡り会えば、得るものも大きいであろう。

良き指導者の条件とは、何であろうか。

指導の意味は、ある目的、方向に向かって教え導く事とある。

では、受講者に心構えは必要なのだろうか。

 

千利百首に習い事の心構えを詠んだ歌がある。

「その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけり」

その道に入りそれを習得するには、自発的に習ってみようとする心こそが師匠となっている。

「はぢをすて人に物とひ習ふべしこれぞ上手のもとゐなりける」

 

教える側は、受講者の目的、目標を把握する必要があり、受講者はその旨を指導者に、はっきり伝えれば進む道に迷いはなくなる。

習い事を進めるには、理論より論理が必要である。

「理」の語源は、玉を磨き上げて、玉の表面に筋を表す事。

ことわり、物事の筋道。

理論=物事の筋道がはっきりしていて、決まっている事を論ずると解釈できる。

教える側の一方的な考えを、納得させるように感じる。

論理=論じて、物事の筋道を決めて行くと解釈できる。

習得するには、双方がお互い意見を出し合い、能力を向上させる事が肝要である。

人は誰でも一定の能力を備えて、この世に生を受ける。

だが、自ら能力を引き出すには、没頭する時間が必要とされる。

体得するには、習うより慣れろである。

 

千利休は詠んだ

「稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一」

習得、体得を見事に表した一首である。

 

利休道歌に学ぶ (裏千家学園公開講座PELシリーズ)

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